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03 11月 2024
  • ●2024.11.03
    題名:人生はノーサイン

    人生はノーサイン

    今夏の甲子園を目指す青森県大会の決勝、青森山田―弘前学院聖愛戦を見ていて
    今まで見慣れた高校野球とどこか違うと感じた。


    どこが変なのかと思ったら、聖愛の打者や走者がベンチを見ないのだ。
    普通は1球ごとに、ベンチの監督のサインをうかがう。

    聖愛は違って、ノーサインでゲームを進める


    選手が状況判断し、バントか強打か、走者は走るか自重するかを決める。
    選手たちがひとりでに動き、得点していくさまは、マジックをみるようだ。


    ノーサインのきっかけは、聖愛を率いる原田一範監督が、

    企業人の研修会で「人の指示でしか動けない人間は今後通用しない」と聞いたときに始まった。


    選手をサインで縛ってばかりでいいのか。
    高校野球が終わってからも続く人生において、
    誰の指図でもなく、自分で考え、決めていくことが大切、と考えた。

    弘前学院聖愛は、ノーサインにして、もう長い。  
    最初、『聖愛は勝つのを諦めた。』といわれたそうだが、3年前の夏、甲子園に出場。
    今年の決勝も青森山田を前半2-0とリードした。自主判断による2盗塁が効いた。

    結末は聖愛に酷なものとなった。2-4で迎えた九回、同点二塁打かと思われた打球が外野フェンスに
    挟まり、4点目の走者が三塁に留め置かれ、試合はそのまま終了。


    ドラマが閉会式の入場行進にあった。
    選手たちは無念を隠し、帽子を手にとって振り、笑顔さえ浮かべ、
    応援席と大会関係者に感謝を伝えた
    見る側も救われただろう。
    周りがみえていないとできないことだ。


    念のため、監督は貴田光将(こうすけ)主将に『もし勝っていたらどうした?』と尋ねた。
    主将は「相手の気持ちを考え、何もせず行進したと思います。」と答えたそうだ。


    自分で考える野球の結実だった。


    社会に出ても、打球がフェンスに挟まるような「まさか」がある。
    そんなとき、いちいち指示してくれる人がいるとは限らないが、この選手たちならば……。
    ノーサインの人生に立ち向かう心構えはできたと確信した。


    仕事もそうだと思います。


    指示待ちではなく、自分で考え、相談し、何がお客様の為になるのかを
    自発的考え行くことが、成長につながると私は考えています。

    カテゴリー:ちょっとした気付き